猫に小判

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「どこへ行っても、自分の限界以上の
ことは体験できない。美しい海を見に行く。
歴史的な建造物を訪ね歩く。
でも、魂の領域も貯えというか、
感性のようなものがなければ、
どんな素晴らしい景色も建造物もテレビで
見るのと変わらない。
つまり、自分の器量以上のものは見えない
ことに気づきます。」

 

(山田太一 小説家)

                   

 

「孟母三遷(もうぼさんせん)」という言葉があるように、
子どもを教育するために優れた「環境」を与えるのは
大事なことです。

しかし、どんなに優れた「環境」で子どもを育てたとしても、
すべての子どもが「孟子」のように育つわけではありません。

なぜなら、優れた「環境」を与えることは、
子どもを立派に育てるための「必要条件」でしかない
からです。

子どもが立派に育つための「十分条件」は、
言うまでも無くその子自身の修養・研鑽です。

どんなに親が優れた「環境」を準備したところで、
その子が愚鈍(ぐどん)なままであれば立派に育つはずもなく、
「猫に小判」です。

逆に、どんなに片田舎に生まれ育とうとも、
たゆまぬ修養・研鑽を積んだ結果、立派に大成した例も
枚挙にいとまがないのです。

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