
「分析していって
最後は幻だと知ること。
この世は幻だって
切って捨てるのが、
本来の釈迦の縁起の
思想でこれを空観。
それに対して幻とは
言いながら楽しい方が
いいでしょっていうのが
仮観と言って、それが密教。
その間をバランスよく
生きなさいっていうのが
中観で、中観の先に悟りが
ある。」
(苫米地英人 心理学者)
私という存在について、
掘り下げて分析していくと、
どこにも実体がないことに気づかされます。
「○○の父」「○○の息子」
「○○会社の社員」「○○県在住」
「○○が趣味」。
そうした無数のファクターの集合体が、
あなたという存在を規定しているだけ
なのです。
逆に言えばそうした「肩書き」抜きに、
「あなたという実在」を語る術は
どこにも存在しないのです。
この世の中は「実体のない幻」で
できており、それを映画のように
楽しんでいるのが個々の人生である
と言えます。
たとえば映画の中で、悲恋に翻弄される
主人公に感情移入して涙を流したとしても、
映画館を出れば友だちと美味しいものを
食べに出かけるはずです。
同様に人生でどんなに辛い出来事があなたを
苛んだとしても、そのことをずっと引きずり
生きていくのはバカげています。
「あまり深刻になりすぎず、
軽やかに生きていこうよ」
というのが釈迦が伝えたかった
教えです。