啐啄同時(そったくどうじ)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「人にものを教えることは
できない。
自ら気づく手助けができる
だけだ。

 

(ガリレオ・ガリレイ 天文学者)

 

「仕事は教えられるものではなく、
盗むものだ」
と言います。

しかし、それは仕事だけにとどまらず、
学問、芸道、スポーツ等すべてにおいて言えることです。

師匠にできることというのは、弟子を
水のありかまで連れて行くところまで。

その水を飲むかどうかは、弟子にしか
決められないことです。

古い禅語に「啐啄同時(そったくどうじ)
という言葉があります。

「啐(そつ)」とは、卵の中から雛が
卵をつついて外に出ようとすること。

「啄(たく)」とは、雛を手助けするように
親鳥が卵を外からつつくこと。

両者の連携は、早すぎても遅すぎても意味がなく、
まさにピッタリと息が合っていなければなりません。

「親は泣くとも子は育つ」と言いますが、
それは勝手に育つところまで導く親の働きが
あってこそです。

教える者と学ぶ者の関係は
まさに不即不離であり、
どちらが先でも後でもないのです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

コメントを残す