
「人にものを教えることは
できない。
自ら気づく手助けができる
だけだ。」
(ガリレオ・ガリレイ 天文学者)
「仕事は教えられるものではなく、
盗むものだ」と言います。
しかし、それは仕事だけにとどまらず、
学問、芸道、スポーツ等すべてにおいて言えることです。
師匠にできることというのは、弟子を
水のありかまで連れて行くところまで。
その水を飲むかどうかは、弟子にしか
決められないことです。
古い禅語に「啐啄同時(そったくどうじ)」
という言葉があります。
「啐(そつ)」とは、卵の中から雛が
卵をつついて外に出ようとすること。
「啄(たく)」とは、雛を手助けするように
親鳥が卵を外からつつくこと。
両者の連携は、早すぎても遅すぎても意味がなく、
まさにピッタリと息が合っていなければなりません。
「親は泣くとも子は育つ」と言いますが、
それは勝手に育つところまで導く親の働きが
あってこそです。
教える者と学ぶ者の関係は
まさに不即不離であり、
どちらが先でも後でもないのです。