言葉が不完全だからこそ

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「言葉は不完全で、
表せないことが
たくさんあります。
お互いのゴールを
共有するには、
言葉は補助的な存在に
過ぎず、身体が必要
になる。
だからこそ人間は、
会って新たな気づきを
得るのです。」

 

(山極壽一 人類学者

 

禅には「不立文字(ふりゅうもんじ)
という教えがあります。

「悟りの内容は文字や言葉で
伝えられるものではない」
という意味です。

ロジックで真理を解き明かそうとした
西洋哲学に対して、
東洋哲学では文字では真理は
悟れないという立場を一貫して
貫いています。

確かに文章にも「行間を読む」
という表現があるように、
言葉は曖昧さを許容することで
成り立っている部分があることも
事実です。

しかし可能な限り言葉の曖昧さを排して、
数学的論理を追究して書かれているのが
「評論」というジャンルです。

ではどうすれば言葉のもつ曖昧さを排して、
万人を相手としたコミュニケーションが
可能なのでしょうか。

それは言葉を文脈の中で
規定することです。

文脈という無数の糸をピンと張り、
言葉をカチッと固定してしまえば、
自ずと解釈も決まります。

そうした厳正さの中でこそ、
言葉の論理が守られるのです。

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