根性論はいらない

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「何も犠牲にしてません。
何かを犠牲にしてたら
続けることなんてムリです。
ただ泳ぐのが好きだから
できただけです。」
 

 

(北島康介 プロ競泳選手)

                   

 

「プライベートを犠牲にして頑張った」
「家族を犠牲にして頑張った」
という言葉が、
美談に聞こえてしまう人は、要注意です。

「犠牲」とは、元々神に捧げられた生け贄
という意味を持ちます。

古(いにしえ)の信仰においては、
神々から恩恵を受けるために、
たくさんの動物や人間の命が「生け贄」として
捧げられました。

「犠牲」とは、自分の欲望を叶えるための
代償として、捧げられる生け贄のことに
他ならないのです。

だから、犠牲にされたプライベートや家族からしてみれば、
たまったものではありません。

「なんで、あんたの欲望のために、
私たちが生け贄にされなきゃならないの?」
というのが、犠牲にされた者たちの偽らざる本音です。

だから、間違っても「犠牲」という言葉に
酔いしれてはいけないし、
「根性論」に逃げてもいけません。

何かの犠牲の上に築き上げた繁栄は、
抑えつけてきた反動によって、
もろくも崩れ去るのです。

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