分別の持ち方

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「四十八歳より前に
悲観主義者になる者は
物事を知りすぎであり、
四十八歳を越えてもなお
楽観主義者である者は、
物事を知らなさすぎる。」

 

(マーク・トウェイン 小説家)

                   

 

まだ若いのに、悟りすましたように
「男(女)なんて」と、訳知り顔に
物申す人がいます。

しかし、「いったい、どれだけの数の男(女)を
見てきたらそんなたいそうなことが言える
のだろうか」といつも不思議に思います。

通りすがりの人を除けば、私たちが生涯で出会うことが
できる異性は、学校や職場、属しているコミュニティー
の場に限定されます。

その中で親しく話をした相手の数を考えたら、
恐ろしく少ないはずです。

たったそれだけの「分母」の中から、
「異性論」をぶつのは、かなり口幅ったい
ということがお分かりでしょう。

多少なりとも、知った風な口を聞くには、
それこそ人生をかけて道楽する必要があります。

それこそ、ひと財産を食いつぶすくらい
女(男)遊びに
費やせば、それでメシが食える
くらいになれるかもしれません。

しかし、普通の人は、たとえ道楽したくても
そんなお金も時間も、体力もありません。

もっとも、歳をとったときに、異性について語れない
というのも寂しいものです。

やはり、人生の旬の時に経験しておくべきことが
あるのです。

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