年相応という名の常識

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「たとえば60歳で定年。
それは社会や会社という
組織が決めたことなのに、
そこで自身の人生もエンド
のように思う人がいます。
世の中の概念に操作されて
しまっているわけです。
でも、それはおかしい。
何も自分の人生全てを、
社会のルールに従わせる
必要はないんですから。」

 

(山本博 教育者)

 

「私はもう年だから」といって、
どんどん尻すぼみの人生を選択していく
人がいます。

「もう年だから勉強しても仕方が無い」

「もう年だから恋愛なんてムリ」

あたかも、「もう年だから」という言葉を、
自分が行動しないことの言い訳に使っているかの
ようです。

世間でも、「年相応」に振る舞うことが常識人の
美徳であるかのように語られます。

私たちは、こうした「年相応」という
名の下の常識に、知らず知らずのうちに
縛られ、監視されているのです。

しかし、中にはこうした常識に縛られず、
矍鑠(かくしゃく)として人生を謳歌する人も
存在します。

80歳で3度目のエベレスト登頂を
成し遂げた三浦雄一郎氏、
91歳で亡くなるまで絵筆を握り続けた
ピカソ、
90歳を過ぎても道場に出て弟子たちを
投げ飛ばした武術家の佐川幸義氏など、
死ぬまで人生を駆け抜けた例には
枚挙に暇がありません。

こうした巨人たちの姿を目にすると、
「年相応」という常識がかすんで見えて
きます。

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