
「境遇なんてクソくらえだ。
俺は自らチャンスを創り出す。」
(ブルース・リー 武術家)
まさに、ブルース・リーはこの言葉通りの
人生を歩みました。
香港の俳優の家庭に生まれたリーは、
若い頃から武術の達人として名を馳(は)せ、
喧嘩に明け暮れていました。
やがて、息子の行く末を案じた父親から
渡米を命じられ、たった100ドルの所持金と共に、
文字通り徒手空拳で海を渡るのです。
ワシントン大学の哲学科に進んだリーは、
「振藩(ジュンファン)國術館」を開いて
中国武術の指導を開始します。
その後、大学を中退し、若くして
ジークンドーという武術を
創始するのです。
とある空手大会で行った詠春拳(えいしゅんけん)
の演武がTVプロデューサーの目に留まり、
俳優デビューを果たします。
しかし、東洋人であることを理由に、
端役(はやく)としての起用ばかりが
続きます。
ついに、業(ごう)を煮やしたリーは、
香港での映画デビューを果たし、
興行記録を塗り替える大ヒットを
叩き出すのです。
ハリウッド映画主演も決まり、いよいよこれから
というときに、リーは32歳という若さで急死します。
空前のカンフーブームを巻き起こした武術の天才は、
「燃えよドラゴン」の世界的成功をその目で確かめる
間もなく、この世を去ったのです。